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今日の日はさようなら

暗闇の中で目を開けた男は、途方に暮れた。
自分がどこにいて、誰なのかも、そこに本当にいるのかさえ、わからなかった。
もう一度目を閉じて、また開けてみる。
儚い期待は、当然のように裏切られ、男はそれを受け入れるしかないと悟った。

幸い体は無事のようだ。
長いこと横になっていたのか、節々が痛むけれど、これといった怪我はない。
立ち上がった男は、辺りを見回す。
暗闇に目が慣れてきたが、どうやらそれほど大きくない部屋の中にいるようである。
部屋はひんやりとしていて、無機質だ。

壁伝いに手探りで歩くと、小さな窓を見つけた。
開けてみる。


その瞬間に、地面がぐらついた。
地震だ。結構大きい。
窓の外も大きく揺れている。
人々の怒号と泣き叫ぶ声が絶えず聞こえてくる。
逃げ惑う人々、倒れてくる建物、西のほうがやけに明るい。
「火事か・・」

男は、あせった。早くここから出なくては。
幸い、窓からの薄い明るさで、大まかにだが部屋が見渡せる。
窓の反対側に扉のようなものがある。
男は走りより、開けようとするが、何かがおかしい。
取手がないのだ。押しても引いてもびくともしない重い扉。

諦めた男は、もう一度小窓を覗く。
赤く明るかった外は、黒く深く静まっている。
少し離れたところで葬式が行われているようだ。
さっきとは全く違う外の様子に男は戸惑った。
「どうなっているのだ・・」

そうこうするうちに参列者が集まり出した。
いったい誰の葬式というのだ。
窓の外の情景がゆっくりと動き出す。

亡くなっていたのは、3人の家族であった。
若い娘とその両親だ。
参列者の悲痛な嘆きが聞こえる。

男は、激しい違和感を覚えた。

そう。
彼らは男の両親と妹であった。
男の家族だったのである。

状況を飲み込めない男は、考え込んだ。
いったいこれは何だろう。

落ち着きを取り戻すために、男は煙草を探した。
無駄な労力を費やした後、最後に胸ポケットに手をやると、
何か紙切れが入っていた。
窓からは、室内の線香の臭いと光が漏れてくる。

男は紙に目をやった。

旅行代理店の領収証とスケジュール表のようだ。
「あぁ・・ そうか。」

男は思い出す。








死にずいぶんと近い場所にいたように思う。
しかし、自らそれを選ぶほど弱い人間でもなかった。
ただ、“やるべきこと”が見つからず、生きる目的がなかったのは事実で、
どうせ生きていてもしょうがないのなら、最後に何か面白いことでもしたいもんだ。
そう考えていた俺は、どこか遠くにでも遊びに行こうかと、街角の旅行代理店に入ったのだ。

相変わらずの一番人気は、過去への旅だ。
途方もない金額と待ち時間をかけて手に入る、やり直しの人生。
けど、その金額が出せる奴の人生って、やり直すほどのものなのか。

俺の担当は、若い社員だった。
「なんか疲れちまったんだが、いい場所あるかね」
「癒しの旅ですか。勿論数多く取り揃えていますよ」
「いや、違うんだ。本当に疲れたんだ。どこか遠い場所ないかね」

社員は、考え込んだ。
「それじゃ、お客さん。未来への旅、試してみますか?」
「なんだいそれは。」

「少し説明させていただきます。」

過去への旅が注目を集める変わりに、未来への旅はあまり知られていない。
それもそうだ、わざわざ金払って生きる時間を短くするんだから。
料金だって俺の手が届く範囲のものだし、待ってる奴なんかいない。

時間の旅には、いくつかルールがある。
誰が定めたか知らないが、"決められている"というより、"そうなっている"のだ。

大きく分けて3つある。
・行き着く先の状況は変えられない。
・その状況は、今までの人生を踏まえて、幸福と不幸が等しくになるように設定される。
・元の時代には、決して戻ることはできない。

いつへ飛ぶかは、寿命が許す限り自分で自由に決められる。
とにかくその時の現状から逃げ出せれば何でもよかった俺は、早速申し込んだ。

どこか遠いところ・・ ピッタリだ。
それに、今までが酷かった分だけ、少しはましな人生になってるかもしれない
という淡い期待もあった。

俺は10年後を選んだ。








冷たい床に座り込んだ男は、もう一度その紙切れを覗き込んだ。
スケジュールかと思っていたその紙は、男の旅立った瞬間から今までの年表だった。
どうやら、あの窓から知っておくべき自分の史実を見ることが出来るらしい。
いや、寧ろその史実を確認し終わったとき、あの扉が開くんじゃなかったか。
そんなことをあのときの担当者に言われた気がする。

また、窓を開けてみる。

男は、妻を娶っていた。
孤独を背負い続けてきた男にできた、新しい家族だ。
ささやかではあるが、幸せな家庭である。
男の顔に笑顔が訪れた。

そうだ、幸せだって訪れるのだ。
今までの分を取り返さなくては。

女は決して美人とはいえないが、愛嬌のある顔立ちだ。
何より優しさが滲み出ている。
男もようやく落ち着くべき帰る場所ができたのだ。

男は満足げに、窓を閉じた。

伸びをして、周りを見渡す。
もしかしたらこの部屋は、俺の頭の中なのかもしれないな。
そんなことを考えながら、窓を開いた。

自分の家が崩壊している。また地震の場面か、と思ったがどうやら違うようだ。
銃声が聞こえた。紙に目を落とす。

戦争だ。

観たくない。

とっさに窓を閉じようとしたが、動かない。
それは意志を持っているかのように、頑なに、
男の閉めようとする力を無力化し続けた。

友と呼べるのかどうかは、わからない。
ただ同じ学校を出た奴、職場が同じだった奴、知り合いが大勢死んだ。
自分の生まれた土地に愛着があったと、そのとき初めて気が付いた。
原形をとどめることなく、火の海になってから。

男は、妻が見当たらないことに気が付いた。
気狂うほどに、必死に妻を探したが見つけることはできなかった。
やっと手にした幸福は、こうもあっけなく零れていくものなのか。

男は、泣いていた。

「俺はなぜ、こんな思いをしてまで生きているのだろう。」

なぜだ。
ルール違反だ。
何が幸福と不幸が等しく、だ。
俺には不幸なことばかりが起きるじゃないか。
男は、やり場のない怒りを抱き、そして悲観した。

しかし、ふと気付いたのだ。
それでも自分が生きていることに。

家族を失い、故郷を失い、知り合いを失い、愛する妻を失っても、
それらへの対価として、男は自分の命を保っていた。

窓を閉めた刹那、背中の方で扉が開き始めた。
ついに男は、外に出ることになる。




外は少し寒く、雨が降っていた。
「こんな薄暗い気候まで、付いて廻るのか」と毒づいた。

男は、歩きだした。
水溜りに映った自分の姿を観たとき、男はため息をついた。
儚い期待と知りつつも、もう一度目を閉じた。

水溜りと思ったのは、妻の瞳だった。
雨はやみ去り、光を感じる。

そうだ、俺は生きている。
しかも一人じゃない。

瞳に映る自分が消え、妻の顔が涙でにじんだ。
遠くで、銃声が聞こえた。
by chikara_mikado | 2006-12-04 10:56 | ヨミモノ
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