釣りキチ二平  その2

その1


さて、ボスニアに着きましたよ。男二人が。


国際免許を取ってこなかった僕は還暦すぎの大先輩に運転を全て頼み、
助手席で鼻歌を歌う役を忠実にこなしていました。

往復延べ1800キロ、お疲れ様でした。
ごめんなさい、ごめんなさい。
今、急ぎで免許申請中ですから。

クロアチアからボスニアへ抜ける山道では、すでに雨、雨、雨。
漂う敗北感をかき消すように、空元気で宿に到着。
とりあえずビール飲んで就寝。






夜が明け初日。


やっぱり雨。


あqwせdrftgyふじこlp;
なぜ、どうして、Why?、Proc?、なぜなんだぁぁぁぁ。


降りしきる雨の中、宿から8キロ。

Unac(ウナッツ)川。
Unaというのはボスニア語で「Only one」の意味で、Unacはその支流にあたる。
なんか地獄谷みたいなとこにあるのよ。

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水かさがそんなに増えてないことを救いとし、釣りを開始。
蛍光の糸を前後にぶんぶん振る、あれだ、フライフィッシング。

カッパを持ってきてないのでゴミ袋をかぶってみたる。
地元の人に変な眼で見られた。

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この川の対象魚はレインボートラウト(にじます)とブラウントラウトだ。
すぐ近くに養魚場があることも手伝って、
魚影は濃く、魚も最近の高校生ほどスレていない。

水面に浮かぶ毛鉤を、魚がジャンプしながら捕食するシーンは、
何度見ても興奮する。

自然の中で、手の届かない存在が、人工的なものに騙され、
もう間もなく自分の手のうちに入るであろう、悪魔の快感だろうか。

はたまた、貴重な捕食シーンを、投げた毛鉤を通じて、
自分だけに見せてくれる、密やかな特権に対する感動なのか。

綺麗なお姉さんが向かいに座っている始発の電車のように、
とにかくやけに生唾ものなのだ。


日が沈むまで、ひたすら釣り続けた。
30か40を超えたころ、数えるのはやめたけど
恐らく、100匹は優に超えているであろう。

ただ、サイズには恵まれなかった。
一番大きなもので30センチ前後。

雨にもかかわらず、満足のいく初日であった。

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うん、魚の写真ないとカッコ付かないので、
Aさんの釣り上げたこの日一番を拝借。



さて、2日目。よしよし、雨は降っていない。
期待を胸に釣り場へ赴くと・・・

増水、増水、雑炊食いたい。

おいおい、勘弁してくれよ。

そうなの。

川の釣りは、天気だけがよくてもダメなの。
前日の雨が山肌に染み込み、溢れたソレが川へと降り注ぐの。
60センチも70センチも水かさが増しているの。

イエジシマリア。

というわけで、この日は釣りにならず。
宿に戻っての休養日となった。

でもね、ものすっごい天気いいのよ。
11月とは思えないくらい暖かいし。
しょうがないのでペンションの裏庭で、犬を横に侍らせワインを喰らう。朝10時から。

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ほどよくまわった頭を酷使し、
ボスニアに来てから感じたこと、思うこと、気がついたこと、
などをメモしてみることにした。


・国境を越えたころからポツポツ見かけだしたのだが、
ボスニアの民家では雨なのに洗濯物を出しっぱなしにしている家が多い。多すぎる。
洋服から雨水が滴り落ちてもなんのその、完全なる放置プレイ。何で?

・この日、釣り場へ行く途中にお婆さんを追い越した。
その後、釣り場で川の様子に嘆き、未練たらたらで何度も水面を覗きこみ、
近くにある滝やら吊り橋やらを散策したのち、諦めて宿に戻ることにした。
帰り道、先ほどのお婆さんとすれ違った。

このお婆さんは釣り場の先にある小さな村の小さな商店に買い物に行くのであろう。
歩いて片道2時間はかかるこの道のりを、黙々と歩いているのだ。
我々が行って帰って来たのに、まだ往路である。

会釈をしてみたが、返事はなかった。
自分の足もとに、厳しかった時代と不安な明日を見ていたのだろうか。

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あ、家が流されそう。

・川沿いの道、ボロボロの道を進むと、突如山に切れ間が現れる。
子供がそこに置き忘れたかのように、橋が架かっている。
壊れかけのこの橋は、息苦しくなるほど、静かに儚い。
朝もやの中、何も待たずに佇んでいる。

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・爆撃を受け、この橋は破壊された。
戦争が終わっても、それを綺麗に直す余裕などない。
人々が最低限必要なだけ修復したそれは、日の光を浴び、川に浴する。

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・メモによると、ただ今の時刻は14時15分。どこからともなくコーランが聞こえてくる。
この地区はムスリムが多いらしく、街中に響き渡ること、日に数回。
また、日没の時間、空の色が落ちた頃に届くコーランは
何か厳粛な気持ちを起させる。でもどこかホッとする。気が楽になる。って書いてある。


コーランを聞きながら、
昔、あるチェコ人に言われたことを思い出す。

彼は音楽家である。
社会主義の頃から、演奏のためヨーロッパ各地に出かけるチャンスがあった。

楽団内の友人から裏切りにあったこと、
外貨をいかに自国に持ち込むかで知恵を振り絞ったこと、
どれだけの閉塞感が社会に漂っていたのかなど、

夜中にビールを飲みながらずっと話してくれた。

「君は今、溢れる情報から色々見聞きできるだろう。
当時の様子を知ることができるだろう。
しかしね、その感覚を得ることはできないのだよ。
想像で感じることはできないんだ。
なぜなら、イッツ ナット ユー。」

勉強するのは構わない、知ろうとすることはむしろ素晴らしい。
しかしそれを理解していると言ってはいけない。

これは効いたね。
少しばかり知った気になってた自分が、打ちのめされた。

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お前はいいよね、のんきで。



さて、自然の中に身を置いていると、子供の頃の感覚が戻ってくるもんだ。

昔はゴキブリを捕まえて、こねくり回し、

「母ちゃん、クワガタのメス捕まえた」

という5才児だったのだから。


落ち葉の下にはキノコが生え、カタツムリをよけながら歩き、
空ではクモが命綱をつけて泳いでいる。

だんだん、見えなかったものが見えてくる。

今日も星が出ている。
明日もきっといい天気だ。
いい釣りができますように。

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by chikara_mikado | 2008-11-19 23:22 | 旅行
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